亜細亜の李と成 every little thing about my angels n myself

Waktu Berangkat-旅立ちの時  

2008年08月31日 日曜日 23:57:06. Days in Lombok, Indonesia 2000-2002.コメント(1)

img088 020718 waktu berangkat.jpg2002年7月18日、私達3人と大きな荷物をSeraparang空港へ運ぶための知人の車が到着した。家の門の前で家族と記念写真。

1999年、友人と訪れたこの地に往復チケットだけを持って貧乏旅行に現れ、安宿を見つけて滞在していた時に日本語も話せなかった旦那と知り合い、2000年に衝動的に自分の人生を決めて仕事もやめ、単身ここインドネシア・ロンボク島に飛び込んできてから、本当に色々なことがあった。楽しいことばかり思い出す。

ここで私も旦那もろくに仕事もせず、それなのにここで一生懸命働いている人たちよりもたくさんの収入がありのんきに暮らしてきた私達。それというのも、日本で働いている時に貯めた100万円ほどの日本円を持ってきて、こっちの銀行に定期預金して毎月充分な利子をもらっていたから。大体、年利15%、外国人税を払っても月に1%、約1万円の収入ということになる。ここでは25万円もあったら平家の一軒家が建つ。普通に働く現地の人たちの収入は、真面目に働いていてもせいぜい5千円程度。遊び暮らして余裕のある私達の生活を面白く思わなかった人もいたはずだけれど、周りの人たちはどの人も心から親切で、お金や物品目当てで近づいてくるような人はいなかった。

だけど、私達はまだ若い。このまま利子で楽をして暮らしていくような決断はできない。もっと、汗をかいて働かないと。そう思って、3人で日本に帰ることに決めた。

もうひとつ、ここではいくら居心地がよくても暮らしていけないと思った理由。それは、出産後に私がデング出血熱に罹ったこと。この病気は蚊が媒介するもので、きれいな水の溜まっているところに生息する蚊に刺されないように四六時中気を配る必要がある。マラリアのように予防接種や予防の飲み薬などはなく、予防としてはひたすら刺されないようにし、体力を落とさないように気をつけることしかない。不注意にも合計4回も罹ってしまった私は、1回目の時に瀕死の状態になった。数日間、高熱が出たり体温が下がりすぎたり、血圧も短時間で激しく上下したり、頭は割れるように痛くなり、手足はものすごくしびれ、激しい吐き気に襲われたり、本当に死ぬかと思った。でもそんな状態でも回らない頭でひとつだけ思ったのが、これがスモモじゃなくて良かったってこと。新生児や年配の人だったら死亡していた確率が高いと後で聞いた。実際私が治ってから遠い親戚の若い女の子がそれで亡くなった・・・。

こんなに居心地のいい、本気で骨を埋めよう・・・ヒンズー教ではお墓はなく遺骨は海に流すんだけど・・・と思ったインドネシアだけど、病気の心配をしながらは安心して暮らせない。これらが、私達が日本で人生を歩もうと決心した大きな理由。

チャンス到来っ!  

2008年08月30日 土曜日 19:46:47. Days in Japan 2002-.コメント(0)

2002年7月、単身なにもかも捨ててインドネシアに渡った私だったけれど、一人が三人になって帰国してきた。何とかなるさなんて言って帰ってきて、とりあえず私の実家で暮らしていくことだけは決まっているけど、無職でどうやって生活していこう、と、スモモがいて楽しくも将来のことについて不安な日々。

9月のある日、新聞の折込の求人広告で運命的な出会いがあった。「子ども英会話講師募集」!・・・講師の経験なんて、大学2回生~4回生の間のバイトのうちの一つとして塾で片手間に教えていたぐらい。しかも外大生なのに教科は何故だか中学数学(基礎だったからなんとかできたが)とたまに中学中級英語。英会話なんて、今となっては自信もなく、インドネシア語講師だったら飛びついてただろうけど、、、と迷いもあったものの、とにかく仕事を始めないと、と思って面接で玉砕してくる勢いで応募。間もなく会社説明会&面接なるものに参加し、いきなり素人の私たち(応募者4名)に「小さい子相手のデモレッスンをこれから行っていただきます」ときた!もうテンパるとかそういう次元を通り越して、今考えても赤面するぐらいの残念なデモを披露することになった。

なのに、なのに、採用なら○日の△時にtelします、なんて言葉も、不出来なデモのことも、人には向き不向きがあるんだという教訓以外はすっかり頭から抹消し入浴していたその時に、採用通知のtel!!

早速決められた新人研修なるものに参加することになり、同時に採用されたゆかりちゃんと一緒に、長岡天神やら、滋賀やら、色んなところへ出向いた。でも私はなにぶんスモモがまだ9ヶ月で母乳育児真っ最中ということもあり、宿泊はせず連日日帰りで・・・。

その研修では、レッスンのことから、業務的なこと、子どものこと、子どもを責任を持って指導していくこととは、など多岐にわたって本当にたくさんのことを学んだ。あの研修が、私の講師としてのモチベーションにとても影響した。

子どもは本当に大好きだし、特にインドネシアで小さい子達と共同生活をして、自分自身の子どもも生まれ、子どもの純粋さ、素直さ、ずるがしこさ、向こう見ずさ、弱さ、未熟さ、色々ひっくるめても、何よりも大切でかけがえのない、未来をこれから担っていく子どもたちを愛おしいと強く思うようになった。これからこの仕事をしていくにあたり、専門的なことはほとんどわからないけれど、チャンスを与えられた以上、自分のキャパを初めから超えていることがわかっているこの仕事に全力を注いでみようと考えた。旦那も家族も応援してくれている。これからレッスンで帰りがおそくなっても、私の母(チャーチャン)がスモモの面倒をみてくれる。

とにかく、頑張ってみよう!

 

レッスンデビュー♪  

2008年08月29日 金曜日 13:45:08. As a Working Mom.コメント(0)

2002年10月、前任の先生からの担任としての引継が無事終了し、晴れて一人立ちレッスンデビュー!火、水、金、土の4曜日で全部で12クラス、80人ほどの4歳から中3までの子ども達へのレッスンが始まった。トイレやお友達と過ごすためのルールから教えるようなチビちゃんクラスから、クールで何を言っても「別に」しか言わない中学男子のクラスまで、私が何かを教えるというより、自分が学ばせてもらうことばかりだった一年がもうすぐ経とうとするころ、5人の先生をまとめる役目を任されることになった。

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